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世界遺産の暫定リスト

 投稿者:忍び駒  投稿日:2015年12月22日(火)11時41分41秒
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  世界遺産の暫定リストの構成資産についてご指導をお願いします。
「飛鳥・藤原の旧都とその関連資産群」の構成資産候補は幾つあるのでしょうか。
公式ホームページには20この候補が載っていますが、wikipediaには28この候補が挙がっていて
8こもの差があるのはどうしてでしょうか。


 
 

妄想歓迎

 投稿者:かるほ  投稿日:2015年 7月27日(月)21時38分43秒
返信・引用
  忍び駒さん
妄想は絶賛推奨中(?)ですが、
ワタクシには高唱過ぎてついていけない話題です>「弄斎節」「投節」
どうぞ、存分に妄想の限りを尽くしてくださいませ。
(でも、私に答えを求めないで下さいね(汗))
 

辰巳 高取

 投稿者:忍び駒  投稿日:2015年 7月24日(金)07時34分4秒
返信・引用
  かるほ様
根拠のない妄想ばかりで申しわけありません。
「辰巳高取 雪かと見れば 雪でござらぬ 土佐の城」
この歌詞は大変に馴染み易いリズムを持っていますよね。
お気付きのように、その理由は文字数の並びにあります。
「七・七・七・五」という文字数になっていて、
江戸時代に京都の遊郭から起こった「弄斎節」(ろうさいぶし)や、「投節」(なげぶし)などといった
歌謡が持っていたリズムです。
幕末に名古屋で始まった都々逸(どどいつ)や、相撲甚句などの甚句物もこのリズムを引き継いでいます。
しかも、更によく見ると、「七・七・七」の中味は規則正しく、「(三 四)(四 三)(三 四)」と
なっていいて、歌詞のリズムは更に高い完成度を持っています。
江戸時代に奈良や郡山には立派な遊里があったようですが、高取城を望む方向がピッタリ来ません。
もっと南の八木や橿原から眺めると辰巳の方向になりませんか。
その辺りの遊里を想像して見ました。
橿原市の小綱町(しょうこちょう)と云う町は、この歌には馴染みませんでしょうか。
 

暑い暑い中

 投稿者:かるほ  投稿日:2015年 7月22日(水)21時52分1秒
返信・引用
  忍び駒さん
奈良歩きお疲れ様でした。
奈良大学の学生さんたちも歩きで神宮まで行くという旅を体験されているようですが、
現代は「近鉄」があってよかったなあ~と思うばかりです。

高取城の歴史好きおじさん達は天誅組ラバーズでしたかね。
幕末好きといっても、好きなもの(ひいき筋)によっては敵対しちゃいますから。


で。
高取のご質問ですが。
3.のみ答えられます。

”土佐町由来
六世紀の始め頃、大和朝廷の都造りの労役で、古里土佐の国を離れこの地に召し出されたものの、
任務を終え帰郷するときには朝廷の援助なく帰郷がかなわず、この地に住み着いたところから
土佐と名づけられたと思われる。”
(→http://www.geocities.jp/mimi159630moko/40-1-1-machiya-hinameguri.html

ということで、「6世紀の始め頃」「都作りの労役のため」土佐から来た人によって、
その地がそう呼ばれるようになったってことですね。

1と2に関しては存じません。
あしからず。
 

高取城

 投稿者:忍び駒  投稿日:2015年 7月22日(水)10時04分0秒
返信・引用
  かるほ様
「辰巳 高取 雪かと見れば 雪でござらぬ土佐の城」という俗謡があるとだけ、あちこちに紹介されていますが、
わからないことがあるので教えて下さい。

① 「俗謡」とだけ書かれていますが、なんと云う題名の俗謡集に収められたものなのでしょうか。
  俗謡の名前も、歌われた時代も、どんな時にだれによって歌われていたものかも分かりません。
  お座敷歌のようですが、それとも民謡や労働歌の類でしょうか、或いは流しや門付けの歌でしょうか。

② 「辰巳 高取」とありますが、高取城は奈良や郡山から眺めたのでは、辰巳(南東)の方向には見えないように思います。
  どっちかというと真南に近い方向になると思いますが、一体どこからの眺めを歌にしたものなのでしょうか。

③ 高取城の山麓に佇む「土佐」という地域を通りました。土佐国から徴用され、帰国を諦めた人々の住んだ地域だそうです.
     何時の時代に、何の目的で 連れて来られた人たちなのでしょうか。

理屈っぽくなって申し訳ありません。私は邦楽に関心があり、特に小唄では名取を頂いております.。
この歌をぜひ聴いてみたいと思っておりますので、CDなどがありましたらご紹介頂きたいと思います。
 

高坊一族 

 投稿者:忍び駒  投稿日:2015年 7月22日(水)09時18分8秒
返信・引用
  かるほ様のご説明のそのまんまですが、昨年の5月、上ツ道を歩いた時に書いたものを以下に
転載しておきます。「百街道一歩」さんのブログにも同様の文章が記載されています。
・・・・・・・・・・
先日、百街道一歩さんのお供をして、奈良の旧街道(上ツ道)を歩いた際に、
中将姫伝説にゆかりのある誕生寺、徳融寺、高林寺などにも立ち寄りました。

特に、高林寺に立ち寄ったのは、茶人サロン「高坊一族」のことを少しでも知りたいと
思っていたからです。寺は非公開の日であったにも拘らず、我々は境内に入り込んで、
中将姫伝説の父・藤原豊成の廟塔などを見せてもらいながら、
高齢のご住職から「高坊一族」についてのお話を伺いました。
高林寺は尼寺ですが、現在では融通念仏宗の寺となっていて、
「高坊一族」に所縁の茶室も再興されていました。

高林寺は、かつて元興寺にあった多くの塔頭(坊)の一つで、
高地にあったことから、「高坊」と呼ばれたのだそうです。
この高坊高林寺に出入りする数寄者たちの作り上げた一大サロンが
「高坊一族」と呼ばれ、室町時代から、多くの茶人、連歌師などが集まり、
住み込んで、奈良町の文化の中心地となっていたようです。

豊臣秀吉が織田信長の追善のために建てた、京都大徳寺の塔頭・総見院の開山となり、
千利休の禅の師であった「古渓宗陳」、
明智光秀の謀反を事前に知っていた唯一の人物といわれる連歌師の「里村紹巴」、
僧で連歌師の「心前」などの有名人がサロンの中核を形成していたようです。

秀吉の北野大茶会に茶席を設けたり、堺の豪商・津田宗久に招かれたとなどいう
記録類が数多く残っていると伺いました。以上
 

伊勢本街道 高取城

 投稿者:忍び駒  投稿日:2015年 7月21日(火)09時32分27秒
返信・引用
  かるほ様

7月になって2回奈良に行きました。
最初は「伊勢本街道」の続きを2日間歩き続けて、榛原~曽爾~御杖~伊勢奥津まで来ました。
いよいよ、大和国をぬけて伊勢国に入り、あと2日半ほど歩けば伊勢神宮に到達する予定です。

ところで、国道にも「伊勢本街道」という名前がついているようですね。
吉野の窪垣内から榛原の萩原に至る、旧・上市街道が、国道「伊勢本街道」に含まれているようなので、
ちょっと変だぞと思いました。

2度目は、飛鳥の民宿で2泊、京都に1泊して、高取城、明日香、芋峠、藤原宮、平城宮、
佐紀盾列古墳群、般若寺などを歩き廻り、翌日は京都の祇園祭を見て帰りました。
暑さと疲労で3回だけですが意識がなくなりました。

高取城で歴史好きのおじさん達のグループと出会った時のことです。
「これほど堅牢なお城を少人数で攻めるとは天誅組も無謀でしたね」と話しかけると、
シーンと静まり返ってしまいました。

 

暑い中…

 投稿者:かるほ  投稿日:2015年 7月15日(水)00時05分39秒
返信・引用
  アッキーさん

暑い中、ご苦労様でした(^^)
葛城古道ですか~しばらく行ってないなあ。
(てか、そんなに何度も行ったわけじゃないけど)

わたしも駅から徒歩で南下するルートでまわりましたけど、
あそこは地形的に南ほど高いので、風の森までバスで行って、
北上(駅に向かっていく)する方が「下り」になってイイみたいですけどね。
(知らずに行って、ふーふーいう羽目になったし)
次回はそのルートで行こうっとココロに決めております。

私も再訪問のチャンスを狙っているのですが、
神社&お寺はすでに回ったので、古墳やら廃寺やらを中心に回りたいなあと。

そうそう、奈良は交通機関の時刻表は事前に手に入れてから行くのをオススメしますよ。
(今はリアルタイム検索ができるから問題ないのかもしれないけど。
前もって調べてから、シミュレートして行くと、時間のロスが少ないし)

かつて、山の辺の道を歩いたときに「疲れたら、国道を走るバスに乗ればOK」
とか書いてあるのを鵜呑みにしたら、バス停はあれども、バスは来ない(走ってない)
なんて羽目に陥り、一時間に一本しか走って無いJRを待つはめになったりしましたから。

看板は明日香のあたりは充実してますけど、
少なすぎる・判断に迷うところも多数ですね。
まあ、財政上の問題もありますのでなんともしがたいですし。
 

御所・葛城古道

 投稿者:アッキー  投稿日:2015年 7月13日(月)00時21分28秒
返信・引用
  昨日、御所に行ってきました。(京都御所ではなく、御所市です)大阪阿部野橋駅から、急行で尺土駅へ。2番線に着き、隣の1番線に停まっている列車に乗って10分たった時に、この列車は橿原神宮行とのアナウンス。慌てました。すぐ飛び降りて、また尺土駅へ。駅員さんに聞いて、やっと近鉄御所駅に。30分以上のロス。当初、バスで風の森まで行って、葛城古道を北上しようと考えていたが、バスは1時間に1本。駅前の観光案内所で聞いて、先に九品寺へ行くことに。鴨山口神社を経由したかったが、案内板がなく、わからず、工場の人や小学生に聞いて、やっと九品寺へ。九品寺は行基開創とかで、裏山斜面の千体石仏が見事。次いで、一言主神社へ。乳たれ銀杏は病気療養中。蜘蛛塚なるものもあった。長柄の町並みを見て、喫茶店で、コミュニティーバスがあると教えていただき(1日に3本、100円で安い)、高鴨神社へ。緑の木々に囲まれた、なかなか立派な神社だ! 風の森バス停まで15分歩き、近鉄御所駅へ。ざっと10キロ近く歩いたようだ。天気がよく、暑かったが、楽しかった。次回は鴨都波神社や宮山古墳、吉祥草寺へ行きたい。しかし、奈良へ行くときは、電車やバスの時刻表の確認や電車の行先の確認が必要と反省。なお、案内標識もいっぱい欲しいなあ。ねえ、かるほさん。  

難しい…

 投稿者:かるほ  投稿日:2015年 5月 8日(金)22時31分54秒
返信・引用
  忍び駒さん

セキチクってえらい洋風な感じがするんですが。
そんな頃からあったんですかね。
(→http://flower365.sakura.ne.jp/12/171.html

短歌の解釈もいろんな技巧を凝らして作るのが腕の魅せどころですが、
五七五はそれ以上に短い中に、いろんな意味を込めるので、
より一層難しいですよねー。
同じく勉強になりました。
 

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