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湯ノ丸山山行の中止のお知らせ

 投稿者:中村由博  投稿日:2018年 6月15日(金)08時38分39秒
  6月16日(土)に予定していました湯ノ丸山山行は降雨の確率が70%と発表されたため
中止にいたします。非常に残念ですが、ご了承ください。
尚、来月7月29日(日)の香日向トレッキングでは八ヶ岳・北横岳を計画しておりますので、
ご一緒したいと思います。


 
 

奥秩父主脈縦走路の端っこと尻尾(石尾根縦走路)を歩く

 投稿者:かえるのおへそ(旧ヨッシー)  投稿日:2018年 5月14日(月)23時59分33秒
編集済
  久しぶりに山中2泊の山行をしました。既に10日経ちますが、アップしたいと思います。
場所は山梨県丹波山村から三条の湯に入り1泊。そこから飛竜山に登り、奥秩父主脈縦走路、石尾根と縦走してまいりました。その2日目をアップします。ちょっと長いですが、お読みいただければ幸いです。

5月5日午前4時半を回った。日の出時刻になったとはいえ標高1103mの三条の湯は谷間にあり、まだ薄暗い。小屋の前の竃の周りに数人の人が起きてきただけで大半の泊り客はまだ夢うつつの世界にいる。独り背負う荷物を整えていると、いかにも山に浸っているような年配の方が近づいて声をかけてきた。
「早いじゃない。」
「今日は長くなるもんで」
「どこまで行くの?」
「飛龍に登って雲取を経て七ツ石まで」
「そりゃ長いな」
ボソッと言って静かに向こうへ行ってしまった。
「そりゃ長いか・・・」
独り言を言って荷を背負う。重さが肩に食い込む。これから約10時間伴をする荷重だ。
「さて行くか」
小屋の裏手の小路を登り始める。飛龍山2077mまでの1000m弱を緩やかながら一気に登る。
途中、路はあちらこちらで斜面に同化しており、足の運びも慎重を余儀なくされる。とはいえ危険個所と言うほどのこともない。
歩きはじめて2時間、路が南西から北西に方向を変えたころ、ようやく目指す稜線らしきものが見えてきた。今回の目的である飛龍登頂と、もう一つの目的、瑞牆山から雲取山へ続く奥秩父主脈縦走路の一部だ。
北天のタルには8時前に着いた。何とか3時間を切ったがコースタイムオーバー、荷物が重いのか、筋力が落ちたのか。明るいうちに七ツ石に着けるのか心配になる。
北天のタルに荷物をデポし空身で飛龍山頂に向かう。空身だから時間は稼げるだろうと思ったのが間違い。路なき崖に渡した梯子状の橋が続く。走るには危ない。また飛龍山は、最高地点と三角点の場所が異なり、事前に地図をしっかり見ておかなかったため、山頂付近で右往左往する始末。北天のタルから飛竜山頂までの往復に2時間近くかかってしまった。明るいうちに七ツ石に着けるか?
荷物を背負って憧れの奥秩父主脈縦走路に足を踏み出す。三条ダルミまでほぼ等高線通りの路をできるだけ飛ばす。気持ちだけは・・・。休憩時間も惜しんで歩く。
と突然、窪地に飛び出す。三条ダルミだった。2時間強、ちょうど12時に着いた。これで何とか明るいうちに着ける。ほっと一安心。昼食も落ち着いてゆっくりとることができた。富士山がきれいに見える。
雲取山への登りはきついが焦らずに登れた。森林を抜けると山頂直下、避難小屋の前に出た。1年もたたずにくることになるとは。暫し山頂からの景色を懐かしむ。途中で一緒になった人と話をしていると、甲武信ヶ岳から奥秩父主脈縦走路を歩いてきたことを知る。思わず憧憬の眼差しになると、わかってくれる人がいたのがうれしいのか、照れていた。
さあ、ここからは縦走路の尻尾ともいうべき石尾根の下り。途中、のんびりしながら七ツ石山を目指す。七ツ石の山頂には15時半に着いた。驚いたことに三角点の標石が抜かれていた。あんな重い物を誰が抜いたのだろう。しかも犯罪だ。そんなことを思いながら、七ツ石小屋に降りる。16時。歩き始めてから11時間が過ぎていた。疲れたが充実感をもてた1日だった。
 

平成30年度京都非公開文化財特別公開4月27日~5月6日^

 投稿者:福澤  投稿日:2018年 5月 6日(日)16時10分10秒
  恒例の催しに5月1日に行って来ました。今年は、戊辰戦争、明治維新150年にあたり、ゆかりの社寺や史跡が公開された(19ヵ所)、例によりうち6ヵ所を拝観した。
1、壬生寺
 (1)991年快賢僧都が仏師定朝に地蔵菩薩像を刻ませ本尊として創建
 (2)天明の大火、昭和37年の火災などで各像が失われたが、昭和45年、律宗、唐招提寺より延命地蔵菩薩立像<平安時代前期>が遷座、内陣両脇には、
   鑑真和上像と壬生狂言創始者である円覚上人像を祀っている。
  (3)境内の壬生塚には、近藤勇の胸像や隊士11名が葬られており隊士にまつわる逸話が数多く残っている。
 (4)代表的な寺宝ー長谷川等伯の<列仙図屏風>、伊藤若冲寄進の<僧>の仮面
 (5)壬生寺庭園~江戸時代の貴重な枯山水庭園
 (6)本堂内を取り囲む障壁画と襖絵、
2、大黒寺
 (1)1615年薩摩藩主、島津義弘が、この寺を薩摩藩の祈禱所として決めてもらい、その名も義弘守り本尊<出世大黒天>にちなみ、大黒寺とした。通称
   薩摩寺と呼ばれている。
 (2)1862年の寺田屋騒動で犠牲になった薩摩藩勤皇党9人の墓があるほかゆかりの書状が保管。西郷隆盛や大久保利通らが会談していた部屋も公開。
3、法傳寺(初公開)-行基により726年開基
 (1)木魚念仏最初の地、木魚による念仏の歴史は江戸中期の中興の祖、不退円設上人が最初。
 (2)鳥羽伏見の戦いは、1868年の1月3日に新政府軍<西軍>と旧幕府軍<東軍>が衝突して勃発し、東軍は多数の死傷者を出した。当寺境内も避難所
  として野戦病院のようであった。明治30年東軍慰霊祭が営まれ、その記念として山門北に戊辰東軍戦死之碑が建立された。
4、妙教寺(初公開)
 (1)淀殿が住んでいた淀古城の一角に建立された法華宗真門流の寺
 (2)水陸交通の要衝であり、さまざまの武将が入城した。現在の本堂は1840年に中興、第15世日冠上人が建立
 (3)鳥羽伏見の戦いでは周辺が戦場になり、1月4日本堂の壁と柱を砲弾が貫通した。この弾痕を保存、柱のできた穴に木片をはめこんである。東軍戦死者
   76名、
 (4)本尊は中央に題目の宝塔、左に釈迦如来、右に多宝如来で俗に三宝様という。その下に日蓮上人を中心に12体の像が安置、円陣にかかる欄間には4人
   の天女像が彫られている。
5、養源寺(相国寺山内)<初公開>
  室町幕府将軍足利義満が帰依した曇仲禅師を祀る、建物は1845年に現地に移転
 (1)秘仏毘沙門天立像が開帳<像高170㎝の彩色寄木造り、左手に通常の宝塔に代わって戟という武器を持っている。
 (2)本尊は薬師如来立像~戊辰戦争の際には薩摩藩士の傷病兵を看護する野戦病院として使用、イギリス人医師ウイリアム.ウイリスによってわが国初の
   西洋式外科手術が行われた。
6、櫻谷文庫(木島櫻谷旧邸)
 (1)この文庫は、日本画家木島櫻谷の居住していた和館、洋館、画室などからなり<いずれも大正2年築>、櫻谷の数千点の資料類を収蔵している。
  伊藤若冲の作品もあり。
 (2)和館は、四方が窓、かっては、北に北山、東には東山三十六峰などを見渡すことができた。
 

丹沢大山山行記

 投稿者:中村由博  投稿日:2018年 4月24日(火)06時55分31秒
  丹沢大山(1251m)
                         2018・4・21(土)
                           中村由博
 4月なのに夏の日差しを体いっぱいに浴びて丹沢大山へ町の山仲間24名と登ってきた。コースは
ヤビツ峠(標高761m)から入り大山山頂に向かうイタツミ尾根をとった。路線バスが通る県道70号は車同士がすれ違うのに難渋するほど狭かった。高度が上がれば車窓から眼下に広がる秦野の町と春霞がかかっている広大な太平洋が望まれて気持ちが安らいだ。我々が乗っているバスが他のバスと出会うことがないようにと願いながらヤビツ峠に到着した。ここから丹沢表尾根を縦走して塔ノ岳を目指す沢山の登山者が出発の準備をしていた。我々は彼らの脇を通って、予定より1時間も早く大山へ向かって出発した(8:30am)。
 強い陽光が新緑に照らされて眩しく、少し進めば汗がどっと噴き出て山を歩いている実感が湧き、登山シーズンを迎えた嬉しさが心をウキウキワクワクさせた。登山道の足下は赤土の関東ローム層、右側が植林された杉林、左側がブナなどの原生林が続き、道端にはスミレや可憐な花々と木々の間から色彩鮮やかなヤシオツツジの花が時たま目に入った。
 阿夫利神社下社からの合流地点のちょっと手前で雪を被った富士山が端正な姿を現した。遮るものが全くない空の下に悠然と構えている富士山を見て早速集合写真を撮った。全員が晴れ晴れとした最高の表情でポーズをとった。
 合流地点からは約15分で大山の頂に着いた。(10:50)江戸時代から大山詣では人気があったといい、また首都圏から近いので家族連れや若い人たちが足の踏み場のないくらいに沢山いた。登りの疲れを癒しながら昼食を摂っている人々の表情には満足感が漂っていた。我々一行は神社裏へ回って雄大な富士山を眺めながら昼食を摂った。秀麗、優美な富士山はすましているような表情で我々を歓迎していた。
つづら折りに続く丹沢山塊を前方、後方に白銀の南アルプスを従えている富士山はやはり日本一の風格を具えていた。
 下山は阿夫利神社下社へ向かうコースをとり、ケーブルカーと徒歩とにメンバーは分かれて、無事に
バスの待つ駐車場へ計画通りに着いた。(14:30)大山といえども結構手強かった!

 

生籐山山行記

 投稿者:中村由博  投稿日:2018年 4月15日(日)22時28分25秒
  生籐山(990m)ハイキング
                  2018・4・13(金)
                          中村由博
一点の濁りもなく爽やかに晴れた空の下、バスは終点の井戸に少々遅れて到着した。実はJR上野原駅でバスの発着所が駅の北口から南口へ変更していたのを知らなかったのでアクシデントが生じた。しかし、当初計画していたバスに我々のメンバー12名全員が乗ることができた。よって本当に安堵した。
バスを下車してから参加者の自己紹介後に出発した(9:20am)。春の陽光に身を任せながら進めば道路脇と民家の庭に鮮やかに咲いた花々が目に入る度に心が躍った。花々に詳しいSさんに花の名を教えてもらいながら歩いた。振り返れば雪を被った存在感のある富士山が望まれて、我々の背中から後押しをしているようだった。民家の横を抜けて軍刀利神社の鳥居をくぐると鬱蒼とした神社特有の杉林の中に舗装された参道が続き社務所があった。平日だったので参拝客は誰一人もなく、戸も締まりひっそりとしていた。さらに30分程進むと巨大な桂の木が軍刀利神社奥の院を隠すかのように悠然と立っていた。この大きな桂の横で早速記念写真を撮った。僕はこの巨木を見て驚いたと同時に強く畏敬の念を抱いた。
ここからは本格的な登山道が始まった。道は植林された杉林の間に緩やかな上りだったが、体は火照り汗がどっと出てきた。稜線に出て休憩したときには、木々の隙間から吹く涼風に体は癒されて爽快な気分となった。期待された山桜の花は既に散っており、気が抜けてしまったが、足元には可憐な花が所々に確認できた。整備された道は歩き易く三国山分岐を通り難なく生籐山頂直下に出た。急な岩場を注意深く登り詰めれば視界は開けてそこが生籐山の頂上だった。(12:00pm)ここで、待ち合わせ場所のJR高尾駅に間に合わなかったKさんと合流できた。彼は我々が下山する石楯尾神社登山口から登ってきたのだった。合流できて本当に良かった。
視界が開けている生籐山の頂に立てば、眩しい日差しが体いっぱいに強く降り注いできた。現在は春の真只中であるが、まるで夏に登頂したかのようだった。早速、温かいインスタントスープを作り昼食を摂った。何といっても山頂で食べる弁当は格別で全員が幸せに浸っているようだった。富士山の雄姿は春霞のために山頂からは少々はっきりしなかったが、新緑が生え始めた周囲の山々の稜線とどこまでも抜けるような青空とが鮮やかにマッチしていた。
記念撮影後はKさんを先頭に下山を開始した。(12:40pm)下山は高度を上げる苦しさがないので、全員の足取りは軽やかになってKさんの後に続いた。三国山付近の桜並木には枯れた花びらが色あせて無残な姿を見せていたのでため息が出てしまった。やはり花がないのは寂しいものだ。時折、Sさんの楽しい花講義を聞いて花の名前を覚えたつもりだったが、残念ながら僕はすぐに忘れてしまった。ミミガタケンナンソウ、マルバスミレ、ヤマブキ、スミレ、イカリソウ、ヤシオツツジ、このような花を教えてもらったのだが…? 足元の可憐な花々の名前がわかればもっともっとハイキングが楽しくなる違いない。今後は花に興味を持って山歩きをしたくなった。
 なだらかな下り坂を約1時間ゆっくりと歩めばしっかりとした舗装道路に出た。周囲の畑にはマネキンに服を着せた案山子にドッキリさせられたが、農家のアイデアに微笑んだ。春爛漫の中、長閑な風情に心が和み、都会では味わうことがないハイキングの楽しさを十二分に味わった。14:20に石楯尾神社バス停に13名全員が無事に到着し、乗車予定のバスに余裕をもって間に合った。
 春を思う存分に感じられる素晴らしいハイキングを計画されたFさんに感謝いたします。
次回の退職教ハイキングは1泊2日で高峰高原・湯の丸山を楽しみにしております。
 

お花見のお知らせ

 投稿者:中村由博  投稿日:2018年 3月12日(月)05時42分5秒
  毎年恒例のお花見を下記の要領で実施しますので、
万障繰り合わせ上ご参加をお願い致します。

            記

    日時   2018年4月1日(日)12:00pm ~ 15:00
    場所   西公園桜の木の下
    持ち物  コップ・お箸・アルコール類・おつまみ等
         お花見に必要と考えられる品。

      ※  飲食物は全て参加者の方々の持ち込みですので
         宜しくお願い致します。
         尚、悪天候などで中止の際はこの掲示板で
         お知らせします。

    連絡先  中村





 

北八ヶ岳スノーハイキング日程変更

 投稿者:中村由博  投稿日:2018年 2月27日(火)06時16分15秒
  昨日連絡した北八ヶ岳スノーハイキングの実施日を4月7日(土)に変更しましたので
ご了承ください。
概略ですので、参加希望者は3月24日(土)まで中村に連絡ください。
参加者が決まり次第詳細を連絡しますので、よろしくお願いいたします。

 1、実施日 2018年4月7日(土)

 2、ルート 北八ヶ岳ピラタスロープウェイ山頂駅 ⇒ 雨池峠 ⇒ 縞枯山 ⇒ 茶臼岳
       ⇒ 五辻 ⇒ 北八ヶ岳ピラタスロープウェイ山頂駅

 3、装備  冬山装備(アイゼン12本爪・ストック・帽子・手袋・サングラス・テルモス・
       スパッツ・スノーシュー・防寒着)・行動食・昼食

 4、保険加入 雪山なので事前に山岳保険に加入してください。

 5、交通・費用  参加人数によって決めます。

 6.担当   中村由博
 

北八ヶ岳スノーハイキング

 投稿者:中村由博  投稿日:2018年 2月26日(月)23時52分50秒
  個人山行で日帰り北八ヶ岳スノーハイキングを計画しました。
概略ですので、参加希望者は3月3日(土)まで中村に連絡ください。
参加者が決まり次第詳細を連絡しますので、よろしくお願いいたします。

 1、実施日 2018年3月10日(土)

 2、ルート 北八ヶ岳ピラタスロープウェイ山頂駅 ⇒ 雨池峠 ⇒ 縞枯山 ⇒ 茶臼岳
       ⇒ 五辻 ⇒ 北八ヶ岳ピラタスロープウェイ山頂駅

 3、装備  冬山装備(アイゼン12本爪・ストック・帽子・手袋・サングラス・テルモス・
       スパッツ・スノーシュー・防寒着)・行動食・昼食

 4、保険加入 雪山なので事前に山岳保険に加入してください。

 5、交通・費用  参加人数によって決めます。

 6.担当   中村由博

 

一富士二鷹三茄子

 投稿者:中村由博  投稿日:2018年 1月 9日(火)19時25分17秒
       一富士二鷹三茄子  2018・1・1
                            中村由博
昨年11月に町の山仲間9名と一緒に本栖湖南岸にある竜ヶ岳へ登ってきた。9:30am に本栖湖キャンプ場の登山口から出発すれば色鮮やかな紅葉が迫る林道には落葉が絨毯のように敷かれていた。1時間ほど進めば快晴の抜けるようなスカイブルーの下で煌びやかな十二単の裾を広げたような富士山を望めた。あまりにも素晴らしい光景に交わす言葉など要らず『凄い!』の一言だった。この絶景に我々は後押しされながら山頂を目指せば、汗がどっと噴き出た。火照った身体は11月の冷風に癒されて爽やかな心地で竜ヶ岳に登頂した。(12:10pm)裾野から頂まで丸裸にしたように富士の全貌が望まれて登頂の喜びが増し、さらに目を移せば雪を被った南アルプスの俊峰が大きく広がり、感無量となり何かに感謝したくなった。神々しいとはこのことだ。人知を超えた崇高なものが体の奥からじわーっと滲み出てきた。周囲にいる登頂者全員が活き活きとして笑顔になっている。言葉には表さなくても嬉しい思いがひしひしと伝わってきた。ここでは「赤の他人というのはご法度だ!」、人と人の絆そして連帯感が芽生えていた。これが山の魅力の一つだ。
眺めた場所と季節を問わず、富士山の姿を見る度に誰もが歓声を上げる。日本一の標高3776mは雄大・秀麗であり、日本と言えば富士山が代名詞となっている。夏の富士登山に外国人が大勢押しかけている昨今がこれを物語っている。
 昔から富士山に感動して、これを主題にした歌・詩・小説が数えきれないほどある。
奈良時代には
  田子の浦ゆうち出てみれば真白にぞ富士の高嶺雪は降りけり
                             万葉集
  人知れぬ思いをつねに駿河なる 富士の山こそ我が身なりけれ
                             古今集
  ふじの嶺の煙もいとど立ちのぼる 思いにもゆる煙なりけり
                             後撰集
平安時代には竹取物語の最後に
「 帝は天に帰ったかぐや姫が残した手紙と『不死の薬』を駿河の国にある日本で
一番高い山で焼くように命じた。・・・
その煙は今も雲の中から立ち上っている。 」と綴ってる。
また、『富士山』が挿入されている校歌が多く、時代を超えて端正な富士山に人の世の思いを強く込めている。
 僕は富士山には今まで7月~8月の夏季のみに10回登頂しているが、冬季は未踏である。冬の富士に憧れてもう何年経つのだろうか? 『厳冬期の富士登山』この初夢の実現を今密かに狙っている。

 

2017年12月31日

 投稿者:中村由博  投稿日:2018年 1月 9日(火)19時21分57秒
     2017年12月31日
                            中村由博
2017年の大晦日に家内に新年の支度を全て任せた罪悪感と一緒に日光雲竜渓谷へ向かった。東武日光駅からバスに乗り、東照宮前の神橋(8:30am)から二荒山神社裏に流れる大谷川支流の稲荷川沿いに出た。凍結した車道に雪が5cm程積っていたので、スリップに細心の注意を払って歩いた。
道は東照宮・二荒山神社の裏を巻いてあり、鬱蒼とした雪を被った杉林がひっそりと佇んでいたが、そこには歴史探索路が設けてあり観光地の面目を保っていた。滝尾神社脇を抜けて暫く行くと林道ゲートに着いた。(9:53am)この地点は稲荷川堰堤ハイキングコースと雲竜渓谷の分岐になっている。早速、登山計画書をポストに入れて雲竜渓谷を目指した。林道は10cm以上に積もっており、雪上に先行したと思われる足跡がわずかながらもついていた。
 雪の林道は蛇行しながら徐々に高度が上がっていき、気温は氷点下5度を指していたが、汗が噴き出た。稲荷川展望台に着き(11:12)、純白と黒のまだら模様となっている赤薙山~女峰山の山肌に冬季の様相が眺められた。備え付けられた双眼鏡で目指す方向を覗いたら岸壁にツララがぶら下がったようなものあったが、まだまだ立派な氷瀑には時期尚早の感じだった。
 山行計画ではここから1時間ほどで雲竜渓谷へ到着できるのと睨んでいた。しかし、雪は深まるばかりで、雪をラッセルするほどではないが難渋しながらゆっくり進んだ。ここで歩き始めて約3時間したところで初めて人に出逢った。ご年配の夫婦だった。彼らは沢の渡渉地点で水が多く危険を感じたので無理せずに雲竜渓谷の途中で引き返してきたと云う。別れてさらに進むと今度は男性が一人下山してきた。彼は沢に落ちそうになりながらも氷瀑を張り出している地点まで行ってきた人だった。彼らのアドバイスを参考にして、行ける地点までと思ってさらに歩けば、曇天の空からは雪が降り出し視界が不透明な状態になった。13:00 を過ぎてやっと雲竜渓谷入口に着いた。コースタイムは計画より大幅にオーバーしており、雪が本降りとなったのでここで潔く下山を決めた。右下を眺めれば降雪で不鮮明ながらもすぐ近くに沢、そして目の前は女峰山直下の鋭い岸壁が迫っていた。「ちょっと悔しいけれどもまた来れば良いや!」で 13:25pmに下山を開始した。
 復路は降雪によって自分の足跡さえも消えていた。

 コースタイム 2017・12・31(日)
   東武日光駅発バス8:20 → 日光東照宮前神橋バス停出発8:30pm → 滝尾神社 →
   林道ゲート9:53  10:00 → 稲荷川展望台11:12
   11:25 → 洞門岩 → 雲竜渓谷入口 13:09  13:25 下山 → 林道ゲート15:00
   15:05 → 日光東照宮前神橋バス停16:18

 

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